平成で、物理の「CD」や「本」の存在意義が変わった

「平成」から「令和」へ。

正直、とくに思うところは実はなかった。年号の存在が自分にとって何か特別よかった思い出はなかったし、それどころか不便に思うことの方が多かったような気がします。

でも、先日ふと「あっ」と思うことがありました。それは「CDや紙の本を買わなくなった」ことです。

本記事はアフィリエイトプログラムによる収益を得ています。

本記事の外部リンクには一部アフィリエイト契約によるものが含みます。リンク先のページで商品を購入・予約などを行うと、筆者に一定の収益が発生します。詳しくはこちら。

「デジタル」でも困らなくなった

きっかけは、CDを立て続け3枚買ったときでした。買ったのは

これらのCDを買った理由は、それぞれ「CDじゃないといけない」理由があったからです。

ワイルドアームズの2種はシンプルで「CDしかなかったから」。買う前にさまざまなダウンロード式のデジタル音楽ストアを探しましたが、配信しているところはありませんでした(ワイルドアームズはソニー系タイトルなのですが、moraにすらなかったことに驚き)。

マッキーのアルバムCDについては、iTunesなどで既に購入可能です。ですが、自分が欲しかったのはいわゆる「初回限定盤」。初回限定盤には限定プロモーションで、優先的にライブの予約ができるのです。

しかし、購入するまではなかなな困難な道のりでした。実際に購入しようとしたのは発売日の翌々日ぐらいでしたが、アマゾン、楽天、ヤフー、それぞれ在庫なしという状態でした。結局、ネット上でタワーレコードの在庫を発見し、取り置き依頼をして事なきを得ました。

「配信されていない楽曲がある」「在庫の少ないものを探す」

これらの2つに「不便」と感じたのは、やはり「デジタル」に慣れきってしまったからではないでしょうか。10〜15年前は、CDなんて普通に買っていましたし、ゼッタイ買いたいものは意地でも予約をしていました。

けれど、平成後期ぐらいからは、ダウンロード購入がベースになりました。また、最近はストリーミングサービス(自分の場合はGoogle Play Music)で、いつでも手元に音楽があるのが当たり前の感覚になりました。

そんなデジタル体験が「普通」の感覚になっていたので、リアルの「CD」を買うことに、戸惑い、苦労、驚きを感じたのではないかと考えます。

とはいえ、物理媒体がなくなるわけじゃない

デジタルが日常になったとしても、アナログ、つまり物理媒体が不要というわけではないでしょう。例えば、ピエール瀧氏の逮捕による電気グルーヴ楽曲の配信・販売停止問題もそう感じた事象の1つでしょう。

CDで買っていれば、リッピングしたデータやCDそのものがなくならない限り、企業の対応に関わらずいつでも聴けるわけです。(配信停止となったのはストリーミングサービスの楽曲で、楽曲ダウンロードで「購入」していた人は聴けなくなるわけではありませんが)。

本で言えば、米マイクロソフトの電子書籍サービス終了の騒ぎなんかもありました。日本市場では使っていた人はほとんどいないので注目度は低いかも知れませんが、購入した電子書籍でさえ7月以降は見られなくなる、というのには驚きました。マイクロソフトは全額返金するそうですが、突如自分の本棚がなくなるという感覚は恐ろしいものがありますね。

もちろん、ほかの会社もすべてそうか、と言われるそうでもないと思います。DRM(デジタル著作権管理)が施されているとはいえ、ダウンロードしておけるショップもあるので、そのような場合は「すぐに見られなくなる」なんてことはない……と信じたいです。

例外を除いて、「コンテンツを手軽に消費できる」という評価軸において、物理媒体はどうしてもデジタルにはかないません。ですが、どうしてもとっておきたい思い出の品、大切な作品、応援したいアーティストや作家の作品は、物理媒体でとっておいた方がいいかもしれません。

本や音楽って日常の消耗品に近いものに感じていましたが、これは絵画とか陶芸品とかの芸術作品、いわゆる嗜好品みたいになっていく、というイメージでしょうか。もし、そうなら令和が始まると、さらにどんなものが“嗜好品化”していくのか気になってきますね。