閑話休題

つい、この前まで。

と、いうのは嘘で。

まさに今この時、僕は『閑話休題』という言葉の意味を知った。

かんわ‐きゅうだい〔‐キウダイ〕【閑話休題】
文章で、余談をやめて、話を本題に戻すときに、接続詞的に用いる語。それはさておき。あだしごとはさておき。
Yahoo!辞書 — http://dic.yahoo.co.jp/dsearch/0/0na/05062604042400/

僕は今まで「一呼吸おいて」とか「ちょっと休んで」みたいな
余裕をもつ、休む的な意味合いなのだと思っていた。

なのに。
実際は「それはさておき」といったような、
話を強引に戻すような、急かすような用法だったわけで。

それでは、この日記でいったい何が書きたかったかというと。

ここのところ様々なことが目まぐるしく僕の周りでグルグルしている。
こんなにグルグルなのは浅草花やしきのドッキリハウスぐらいだ。
(自分の周りが意志と関係なく回転している様は、意外に的確な比喩だと思う。)

やはり原因は地震だ。

地震の直接的な影響は我が家にはガスが数時間止まる程度のものだったけど、
僕の生活・活動にはガスが数時間止まるより悪い影響を与えている。

まずは、やっぱり吹奏楽部の定期演奏会である。

今までたくさん大変なこと、部の大切な人の命が失われたって、
後輩たちや先輩、先生そして自分が歯を食いしばってやってきた演奏会が、この地震で流れてしまった。
今回は初のOB演奏もあって自分の思い入れもより一層あった。

だが、なんといっても悔しいのは今の今春高校3年になる後輩たちだろう。

うちの定期演奏会では式中に引退式をやる。
高校2年生たちは自分たちの受験勉強などを犠牲にしつつこの定期演奏会に挑むわけだ。
いや、人によってはこの引退式、数々の先輩が涙を流したこの式のために長年部活を続けた子もいただろう。

それが呆気無く。どうしようもなく流れてしまった。
被災してしまったわけでもなく、自らは何不自由なく暮らしているのに流れてしまった。
それは、幸せにも引退式を迎えた僕らには分からない悔しさだろう。

次に演劇部である。
前回の記事でも書いたとおりこの公演も様々な障害に囲まれている。
4月中の活動時間の制限。祝日休日の利用禁止などなど。。
またそれらの制限の5月への影響も十分に考えられる。
手詰まりではないが、例年にはない課題が山積みになっている。

そして、同窓会の成人式。
やっと先日、4月30日への延期が決まった。
場所は変わってしまったが、時間や2次会はほぼ地震直後の3月13日のものに等しい。
地震の影響で、大学総務が利用できないため全体への郵送はせず、メールなどで直接連絡するしかないが、これはある程度できることだ。

これもせっかく集まろうとしていた矢先の地震だった。
こうして延期が決まったことはとても幸運なことだと思う。

ともあれ。
これらは全部愚痴だ。
どう取り繕うとも、愚痴以外のなにものでもない。

僕ら以上に苦しんでいる人がいて、身近にも大変なことになっている人たちがいる。
愚痴を言えるだけ幸せで、そのことを忘れてはいけない。
他人がどうであれ、自分は必ず忘れてはいけない。
だから、僕は忘れず頑張る。

頑張らなければならないし、
頑張ると決めたのは自分であり、成功させたいと心から思っている。

だからこの愚痴は頑張るための糧になると思って書き始め、
これから色々なものに挑むための「一呼吸」だと考えている。

そして、つまらないことだけど、僕はまた正しいことを覚えた。
覚えたての言葉だけども、こういう使い方も悪くないと思う。
最初と最後を同じ言葉で飾るなんて、なかなか洒落てるなんて照れたりする。

さぁ、思考を本題に戻そう。
閑話休題。

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